●誓約





帝国軍がフェザーンに凱旋して一ヶ月が過ぎた。
ハイネセンは帝国領となり、宇宙を手に入れるというラインハルトたちの夢は
叶ったといえる。
次は姉の夢を叶えてあげる番だ、と弟は思った。
キルヒアイスが納得しまいが、今後は後方勤務に回ってもらうつもりである。
前線に出て身を危険にさらすのだけはさせまい、と決めていた。
それが、姉と親友の幸せのために自分がしてあげられることだと、若い皇帝は
考えたのである。


久しぶりに水入らずで過ごせたその日の午後。
金髪の若者は姉に告げた。
「姉上、お約束通り、これで戦いは終わりです。もう何も心配なさらなくても
いいのです。これからは平和で穏やかな日々をお過ごしください。」
「そう・・よかった。何より貴方達が無事で帰ってきてくれて嬉しいわ」
けぶるような微笑みが胸に沁みとおる。

この笑顔を見る時、若い皇帝は想いを新たにするのだった。
自分たちの戦いはこのために、この笑顔を取り戻すためにあったのだと。
そして、これからはこの笑顔を守っていくのだと。
短く息を付いて、ラインハルトは笑顔を向けた。
「姉上、キルヒアイスには後方勤務に回ってもらうことにします。私たちの
夢は叶いました。キルヒアイスにはゆっくり休んでもらいたいのです。」
「本当に? それで大丈夫?」
「ええ。それに・・・これからは彼には姉上だけを守ってもらわなくては・・」
「そんな・・」
薄桃色に頬を染める姉を見て、金髪の若者は眩しそうに微笑う。


これでいいのだ
これで・・・
こんなに幸せそうな姉上を今まで見たことがない
やっと
心安らげる場所で
愛するひとと過ごしていける日々を
差し上げることが出来たのだ
・・・よかった・・・・・


「幸せですか? 姉上」
「・・・ええ」
「よかった」
「貴方は? ラインハルト」
「もちろん幸せです、姉上」

傾きかけた西日が2人の金の髪を煌かせて。




同じ日の夜、ラインハルトの部屋で、2人の若者はワインで乾杯していた。
長い間、目指してきた、宇宙の統一をついに成し遂げることが出来たこと、
それを祝ってのことである。

他の誰にも分からない2人だけの誓い。
乗り越えてきた幾多の苦難。
2人で手に入れた宇宙。

走馬灯のように2人の心を駆け巡り・・。


「お前のおかげだ、キルヒアイス」
「いいえ、ラインハルトさまの強い想いが夢を叶えさせたのです。」
「本当に・・・今までありがとう」
「何を言うのです。これからもずっと共に・・」
「いや、お前にはこの前言ったように、後方勤務に回ってもらう。」
深青の瞳が瞠目した。
「ラインハルトさま、何を・・!?」
「言っただろう、戦いの前に。お前も納得したはずだ」
「ですが!」
更に抗議しようとする口を白い指が押さえる。

「姉上が・・・お前の後方勤務転勤を聞かれて、とても嬉しそうに笑われたのだ。」
赤毛の若者は言葉を詰らせた。
「あの笑顔を・・俺は守りたいと思った。・・・お前じゃなきゃダメなんだ。
キルヒアイス、姉上を幸せに出来るのはお前だけなんだ・・!」
蒼氷色の瞳がじっと深青のそれを見つめる。
「ラインハルトさま・・・では、誰が貴方を守るのですか? 貴方を守るのは
私の役目だと、ずっと思ってきましたのに・・・!」
「・・・俺は大丈夫だ。お前がいなくても他に守ってくれる者はいる。」
力なく項垂れた頭をルビーの髪が包み込んだ。
「私はもう貴方にとって必要のない人間なのですね・・」
「そうじゃない。そんなはず・・ないだろう。でも俺よりももっとお前を
必要としているひとがいる。ただそれだけのことだ。」

赤毛が強く左右に振られる。
「私の気持ちは・・・どうなるのです? ラインハルトさまとずっと共にありたい、
そう願う私の気持ちは・・」
深青の瞳が透明な雫をはらんでじわりと潤んだ。
それは今にも溢れ出しそうで。
ラインハルトは胸の最奥がきりきりと痛んだ。
「そんな・・・そんなこと言うな。そんなこと言うな、キルヒアイス」
搾るような声を吐き出す。
「俺はお前に姉上を幸せにしてもらいたいんだ。姉上はお前を愛していらっしゃる。
お前と一緒になることがあの笑顔を守ることになるんだ。お前だってそうだろう?」
「私は・・・私が愛しているのは・・・」
赤毛を1つ振って、目の前にいる親友の腕を強く引き寄せた。
金糸の束が広い胸の中に滑り落ちる。
痩身をきつく抱きしめた。
「キルヒア・・イス、苦し・・」
「ラインハルトさま・・ライン・・ハルト・・さま・・」
「放・・せっ・・・キル・・」

金髪の若者の体はふいに、すとん、と力が抜けたように崩れ落ちる。
抵抗を感じなくなった腕が虚しく空を切った。
「ラインハルトさま!?」

床に広がった金糸はそのまま時を止めて。




どこまでも広がる草原
貴方と思いっきり駆けた
時を忘れ
夢を追いかけ
野望を抱き
誓ったあの夜のことも
決して忘れはしない

あの日から
貴方の手を取ったあの日から
私の行く道は決まっていた
ただ貴方と共に
どこまでも駆けて行くと
どこまでも・・・



「陛下はどうなのですか?」
若い元帥の問いに、医師団の代表は険しい表情を見せる。
「陛下のご病気は、”変異性劇症膠原病”です」
「何だって?」
耳慣れない病名に赤毛の若者は医師団に聞き返した。
同じ言葉を繰り返されて、少し考え込む。
「治るのでしょうね?」
それに対する無言の答えに、キルヒアイスは血の気が引く思いがした。
「まさか・・・不治の病ではないでしょう?」
「それが、現在まだ研究中の病気でして・・治療法が見つかっていないのです。」
「研究中? 研究中だと!?」
声を荒げた元帥に、医師団は怯えたように震え上がる。
「貴方達は何をしていたのですか? こんなになるまで陛下にご無理を・・」
弁解も出来ず、医師団はオロオロするばかりで。
その時、寝室の奥から声がした。
「やめろ、キルヒアイス。彼らを責めるな。俺もいい患者ではなかったからな。」
「ラインハルトさま! 起き上がったりして大丈夫なのですか?」
ベッドに上体を起こしている若い皇帝に駆け寄る。
「俺はあとどのくらい生きられるのだ?」
「ラインハルトさま!」
蒼白になる親友を制して、若い皇帝は医師団の答えを待った。
だが、彼らは困惑して押し黙ったままである。
その態度が全てを物語っていた。
静かに頷くと、医師団を部屋から退がらせる。

「残された時間さえも分からないのか・・」
長く溜息を付くと、窓の外を見やった。
蒼い月が透明な光を落としている。


キルヒアイスは
何を言ったらいいのか
何をすべきなのか
何も考えられなかった
心がすっぽり抜けてしまったようだった
ついさっきまでの言い合いも
親友の言葉も
全てが色褪せて・・・

無彩色の世界に
彼は一人だった



翌日、赤毛の若者は心配しているアンネローゼを部屋に訪ねた。
「ジーク・・ラインハルトは?」
「はい・・・」
低く頭を垂れたまま、アンネローゼの顔が見られない。
「よくない、のですね」
赤毛の若者の様子から弟の状態を察したアンネローゼは、大きく溜息を付いた。
「ラインハルトはこのことを?」
「・・・ご存知です・・・」
「そう・・・・・」
重苦しい空気が部屋に立ち込める。

キルヒアイスは意を決したように口を開いた。
「アンネローゼさま、お願いがあります」
「?」
「ラインハルトさまを私にください」

長い金の髪がふわりと揺れる。
蒼の瞳が大きく開かれて、目の前の若者を見つめた。

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