●誓約





「ジーク、それはどういう・・?」
赤毛の若者の言葉の意味を掴みかねて、訝しげに金糸を傾げる。
「私はお2人と出会ってからずっと常に側にいさせて頂きました。こんなに幸せな
ことはなかった。これから先もずっとそうであると、この幸せは永遠に続くもの
であると、心のどこかで思っていたのです。」
「それは私も・・弟も同じだと思いますよ。」
ルビーの髪が激しく左右に振られた。
「ですが・・! 今、そうではないと思い知らされました。病が・・私から
ラインハルトさまを奪っていく・・。私はこんなにも無力だったのか・・」
小刻みに震える肩に、そっと暖かな手が添えられる。
「ジーク、貴方は私たち姉弟にこれ以上ないほどの幸せをくれたではありませんか。
病気はどうしようもありません。医者が治せなければ諦めるしかありません。
貴方がそんなに自分を責めることなどないのですよ。顔を上げて、ジーク。」
徐に上げられた深青の瞳は、悲しみに潤んで揺れていた。
「申し訳ありません、アンネローゼさま。私が付いていながらラインハルトさまを
お守り出来ずに・・。」
「ジーク・・」
「せめてこれから先は私に・・・どうか私にラインハルトさまを・・」
大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。

アンネローゼは息を呑んだ。
今まで一度もこんなに感情を露にした彼を見たことがない。
自分の前では常に穏やかで冷静で大人だった若者の、本当の姿に接した気がした。
彼はまだ25歳なのだ、と改めて思い知らされる。
そして、赤毛の若者の秘めてきた想いを理解した。

「ジーク、貴方はあの子のことをそれほどまでに想ってくれているのですね。」
ルビーの髪は項垂れたまま、小さく震えている。
そっと赤い束を両手で包み込んで抱き寄せた。
「ありがとう、ジーク。ラインハルトを頼むわね。」
「・・アンネローゼさま・・」
優しい手が赤い髪を何度も何度も撫でる。
キルヒアイスはその暖かさと優しさが嬉しくて、でも苦しくて、苦しくて、辛くて
小さな嗚咽を漏らし続けた。



若い皇帝の寝室は、医師団によって入念な温度管理と空調がなされている。
一般人の出入りは基本的に禁止されていたが、同居人である赤毛の腹心と
アンネローゼだけは特別だった。

就寝前、キルヒアイスは薬を持ってラインハルトの部屋を訪れた。
若い皇帝は上体を起こして、読書に耽っている。
「ラインハルトさま、そろそろお休みになりませんと」
「ん・・ああ、もうそんな時間か」
本を閉じて小さく伸びをすると、窓に目をやった。
「今日は月が満ちているんだな」
「ええ、外は明るいです」
「明るいな」
そう言った横顔はいつにも増して白く、月明かりに溶けてしまいそうで。
赤毛の若者は胸が締め付けられた。

「ラインハルトさま、お薬を」
「ああ・・面倒臭いな」
「いけませんよ」
「分かってる。子ども扱いするな。」
不服そうに口を尖らす様に苦笑いしながら、薬とコップを手渡す。
喉を鳴らして飲み干すと、小さく溜息を付いた。
「これで治るのなら、面倒臭いなどと言わないのにな」
「ラインハルトさま・・」
「分かってるさ」
諦めたような笑いが、赤毛の若者の心に突き刺さる。

上掛けを細肩にかけながら、キルヒアイスはぽつりと言った。
「これからもずっと一緒ですから」
そっと背中越しに痩身を抱きしめる。
頬に朱を差して、若い皇帝は慌てたように振り返った。
「な・・に? キルヒアイス・・」
金糸の束に顔を埋めて、小さくくぐもった声で繰り返す。
「ずっと一緒です。もう離しません・・・」
「ちょっ・・おい、キルヒアイス。何言って・・」
赤毛がついと上向いて、耳元で低い声が囁いた。
「貴方が好きです」
「・・・え?」
「好きです・・ずっと前から貴方だけを見てきた」
「おい、キルヒアイス、お前・・!」

金髪の若者は体勢を入れ替えて、赤毛の親友と相対する。
ほんのり上気した頬が少しだけ怒っているようだった。
「お前は姉上と・・」
「アンネローゼさまには私の気持ちを話しました」
「え?」
真っ直ぐ見つめる深青の瞳は一点の曇りもなく。
ラインハルトは堪らずに目線を逸らした。

「どうしてお前は・・・」
「ラインハルトさま」
「どうして姉上を悲しませる? どうして俺を・・苦しめるんだ・・」
金糸をふるふると振って、潤んだ蒼氷が深青のそれを見返す。
「何故だ、キルヒアイス! 俺が・・どんなに悩んで・・」
言葉の途中でそれは塞がれた。
熱い想いに。

「や・・ダメ・・」
必死に引き剥がすと、蒼氷からポロリと雫を落とした。
苦しげな吐息が涙と混ざって、端麗な顔を歪める。
「姉上がどんな想いで・・それを知らないお前じゃないはずだ」
「分かっていますとも。アンネローゼさまのお気持ちも、そしてラインハルトさまの
お気持ちも・・」
「なら、何故・・!?」
「私の・・・この私の気持ちを・・抑えられなかったのです。どうしても」
「キルヒアイス・・お前は・・」
「貴方のことが好きです。アンネローゼさまよりも貴方のことが。病気のことを聞いた
時、もう一時も離れていたくないと、そう思った。ずっと側にいたいと・・。だから、
アンネローゼさまにお願いしたのです。”ラインハルトさまを私に下さい”と」
「お前・・何でそんなこと。何で俺なんかのことを・・。」
深青の瞳から溢れる雫を細い指でそっと拭った。
「お願いです・・どうかお側にいさせてください。」

逞しい腕が痩身を抱きしめる。
それは力強くて熱くて、ラインハルトは体中に甘い痺れが走るのを感じた。
抑えてきた想いが溢れ出てしまいそうで。
どうしていいのか分からなくて、涙が止まらなかった。


幸せを望んでもいいだろうか
どうせあと僅かの命なら
それまでのほんの少しだけでも
愛するひとと繋がっていたい
時間も
空間も
その手の温もりも
熱い鼓動も
体温も
何もかも全て・・・


「キルヒアイス」
腕の中からゆっくり金糸の束を上げる。
蒼氷色の瞳が深青のそれを捉えた。
「・・・お前が好きだ」
「ラインハルトさま・・!」
「俺を・・・もらってくれるか?」
白皙の頬が薄桃色に染まる。
「はい・・ラインハルトさま・・」
零れるような笑みを浮かべて、赤毛の若者は頷いた。


躊躇いがちに白い首筋に舌を滑らせて、優しく愛撫を施すと、その度に全身が
小さく痙攣する。
キルヒアイスの手がシャツの襟元からするりと素肌を滑り落ち、なだらかな胸の
突起に触れると、肢体がピクリと跳んだ。
指先で転がすとぷくりと反応して膨らむ。
「あ・・・」
我慢していた声が溜まらず漏れ出した。
「すみません、痛かったですか?」
心配そうに赤毛の若者が覗き込む。
「いい・・から、離す・・な・・」
赤毛の束をぐいと引き寄せて、唇を合わせると貪るように舌を絡めた。
今だけは何もかも忘れたかった。
愛するひとと一緒にいたい、ただそれだけで。
「キルヒアイス・・離さない・・で・・」
「ラインハルトさま・・」
金髪の若者は着ている服を脱ぎ捨てると、白い肢体をベッドに投げ出した。
「来てくれ・・」
キルヒアイスは体重をかけないようにそっと覆い被さると、体を重ね合わせる。
耳朶に、首筋に、鎖骨の窪みに、唇を移動させていく度、体が熱を孕んでいった。
「キルヒアイス、キルヒアイス・・・」
熱にうなされるように名を呼ぶ。
生きていることを確かめるように
愛するひとの存在に触れるように

「私はここにいますよ、大丈夫です」
「もっときつく抱きしめてくれ・・お前から離れないように」
「ラインハルトさま・・貴方が壊れてしまいます」
「いいんだ。お前になら壊されてもいい」
キルヒアイスは頭をふるふると振った。
ふ、と力を緩めて横向きになると痩身を抱き寄せる。
ブランケットを引っ張って上に掛けた。
蒼氷が不安そうに見上げる。
「ずっと一緒ですよ。大丈夫・・」
「うん・・」
小さく金糸を傾げて、逞しい胸に顔を埋めた。


このまま奪うことは簡単かもしれないけれど
大切なこのひとを傷つけたくはないから
もっとゆっくり
もっと優しく・・・


自分の胸で小さな寝息を立てる金糸を指に絡めて、そっと口付けを落とす。
このまま何事もなかったかのように、運命をリセット出来たらどんなにか
いいだろうか・・・。



だが、キルヒアイスの願いも虚しく、若い皇帝の病状は悪化の一途を辿っていった。

その日、枕元にはアンネローゼが呼ばれていて。
金髪の若者は姉に微かに微笑ってみせた。
「姉上、キルヒアイスをお返しします。長い間、お借りしてすみませんでした。」
「何を言うの、ラインハルト。ジークは貴方の・・」
「いいえ、姉上。もう十分です。私にはもうキルヒアイスは必要ありませんから。
これからは姉上をお守りするでしょう。どうか幸せになって下さい。」
蒼氷色の瞳は今まで見たことがないくらい穏やかで、それが返ってアンネローゼには
辛く悲しいものだった。
「キルヒアイスを呼んでいただけますか」
「ええ、少し待っていてね」

程なくして赤毛の若者が入室してくる。
「お呼びになりましたか?」
「キルヒアイス・・・頼みがある」
「はい」
「姉上を頼む」
「ラインハルトさま・・」
「俺が死んだら姉上はもうお前しか頼る者はいない。俺の分までお守りしてくれ。」
胸の詰まる思いが若い元帥を支配した。
「ラインハルトさま」
「ん?」
「ラインハルトさま・・」
「何だ?」
「・・・ラインハルトさま・・・」
「キルヒアイス?」
ふわりと金糸を包み込んで、そのまま名を呟き続けた。
「私のこの腕はただ一人のひとを守るため、私の口はただ一人のひとの名を呼ぶため
ラインハルトさま・・貴方は私の全てです。貴方がいなくなったら私は生きては
いけない・・・。」
震える背中をそっと抱きしめると、若い皇帝は囁く。

「キルヒアイス・・それだけは許さないぞ。お前には俺の代わりに姉上を守って
もらわねばならないのだからな。生きる、と約束してくれ。」
深青の瞳から大粒の涙がいくつも零れ落ちた。
「・・・それが貴方の望みなら」




ただ一人のひとのため
私はこの世に存在するのだ

でも、貴方が望むなら
貴方の願いを叶えるために
存在しても構わない

いつか貴方に会った時
その賞賛を受けられるのなら
それも悪くはないだろうから・・・




<END>


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<作者コメント>

完結しました。
何度も書いている「ハル、キルヒ、姉」の関係。
原作ではハルの入る隙など皆無のようですが、というか
そういう気さえないと思われますけどね(笑)
個人的な希望としては、キルヒは姉よりもハルの方を
愛していて欲しいと願っています。
”自分はハルを守るために生まれてきた”、と断言できるくらいに。

(2006.8)

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