●誓約
確実に・・・ 何かを知っている目だ、と キルヒアイスは確信する。 喉元の渇きを、無理矢理に呑み込んだ。 「先程、陛下のお部屋にいらしていましたね。」 「ああ」 「・・・・・陛下に・・何をしたのですか?」 「これはまた・・随分と穏やかじゃないな。」 金銀妖瞳が妖しげな光を放つ。 口の端を微かに上げて、じっと目の前の若い赤毛の元帥を見つめた。 「何か証拠でもあるのか?」 色の違う両眼は挑戦的な眼差しを突き込んでくる。 「いつもと明らかに様子が違っていたので」 「ほう。さすが幼馴染というわけか。いや、恋人の間違いかな。」 「なっ・・・!」 赤毛の若者はその髪と同じ色に頬を染めた。 9歳年上の元帥をきっと睨みつける。 「そんなふうに余裕がないようでは他の男に奪われてしまうぞ。」 「・・・それは元帥ご自身のことを言っているのですか・・」 「だとしたらどうする?」 「・・・陛下が望まれているのなら仕方ありません。ですが、そうでないのなら ・・・・・」 静かな怒りを深青の瞳の奥に潜めたまま、一つ呼吸を付いた。 「私はその男を許さないでしょう・・」 ロイエンタールは低く笑い声を立てると、赤毛の若者の耳元で囁く。 「面白いじゃないか。いつでも受けて立つぞ。」 キルヒアイスが何か言おうとした時、ミッターマイヤーが2人を呼びに来た。 ラインハルトとヤンが会見を終えて、元帥達の控えていた部屋に来たのである。 ヤンはキルヒアイスを見ると、懐かしそうに笑顔を見せた。 敬礼で答える赤毛の若者の脳裏には、先刻、ロイエンタールが言っていた一言が リフレインしている。 ”陛下はヤン・ウェンリーに好意をお持ちのようだ” ・・・本当なのだろうか? ラインハルトさまはヤン元帥を・・・ 赤毛の若者は視線を若い皇帝に向けた。 豪奢な黄金の髪、白皙の頬、蒼氷色の瞳、薄桃色の唇 綺麗な指がひらひらと舞いながら、元敵将に笑顔を向けている。 ドクン、と鼓動が高鳴った。 ドクン、ドクン、ドクン 加速していく。 息苦しさを感じて、キルヒアイスは顔を俯けた。 自分でもどうしようもないほど冷静でいられない。 例えそれが出まかせだったとしても 今見ている目の前の光景が全てだった。 自分には近づきがたい、2人の英雄がつくる空間がそこにある。 それは、キルヒアイス自身、経験したことのない激しい嫉妬と言えた。 出会ってから14年。 ラインハルトが頼っていたのは自分だった。 どんな時も側にいたのは自分だった。 それは揺るぎのないものだと、どこかで信じ込んでいたのだ。 だが・・・ 今、目の前に映っている親友は、好敵手と認めた男との時間の共有を楽しんでいる。 自分には決して見せない笑顔で。 赤毛の若者は、親友である立場と腹心である立場との間で苦しんでいた。 敵将であるヤンとの和睦は、宇宙の統一を目指すラインハルトにはこの上ない好機で 腹心としては喜ぶべき事である。 そうは分かっていても、今のキルヒアイスには親友としての立場の方が大きくて。 その夜は、銀河の瞬く星々が漆黒の闇を飾っていた。 「キルヒアイス、この後のことなんだが」 「はい」 若い皇帝は、腹心の若者に徐に声をかける。 「同盟を統括する者が必要だ。同盟首都星に元帥の一人を赴任させようと思うのだが お前はどう思う?」 「それでよろしいと思います。」 親友の同意に満足気に頷いてから、若い皇帝は暫く考えを纏めているようだった。 「ハイネセンに、新領土総督としてロイエンタールを行かせようかと思っている。」 「ロイエンタール元帥にですか!?」 「何か異議があるのなら遠慮なく言ってくれ。」 「いえ。異議ではありませんが・・ラインハルトさまがそうお考えなら構わないと 思います。」 内心、ほっとしていた。 金髪の若者に手を出すあの男が、遠い地に赴任してくれるのであれば・・・。 だが・・・ あの野心の塊のような男を野放しにしてしまって危険はないだろうか。 しかも強大な兵力と権限を与えて。 腹心としての冷静な考えが赤毛の若者を支配していた。 「ラインハルトさま、ハイネセンへは私が行っても構いませんが?」 「お前が? いや、それは・・困る」 「ですが・・ロイエンタール元帥をお手元から離されるのは、いささか心配です。」 「あの男は正確な判断を下せる。馬鹿なことはすまいよ。」 「・・・・・」 「大丈夫だ、キルヒアイス。それに・・・」 若い皇帝は語尾を淀ませる。 訝しげに赤毛を傾かせて、キルヒアイスは次の言葉を待った。 「あの男は少し離した方がいい・・」 「ラインハルトさまから、ですか?」 「そうだ」 「やはり・・・ロイエンタール元帥との間で何かあったのですね?」 僅かに金糸の束が揺れる。 「何言って・・」 「嫌なのです・・・!」 滅多に出さない親友の大声に、ラインハルトは目を丸くした。 赤毛が強く左右に振られる。 「キルヒアイス?」 「私との間で秘密事は作らないでください。ラインハルトさまのことはどんなことでも 知っていたい。誰よりも理解っていたいのです。」 「俺は別に・・」 「・・・どうしてもお話したくないのでしたら構いません。ですが、辛いのなら・・・ 私がいるということを覚えておいて下さい。」 ふわ、と腕が伸びて金糸の束を包み込んだ。 それは暖かくて、力強くて、ラインハルトは何でだか自然と涙が溢れてくる。 必死に隠そうと強がってきた気持ちが徐々に解けていった。 手のひらを伝って、細い肩が小さく震えているのを感じる。 驚いた赤毛の若者は、体を離してそっと親友の顔を覗き込んだ。 長い睫毛に覆われた涼しげな蒼氷色の瞳から、透明な雫が零れる。 「ラインハルトさ・・ま?」 「ごめ・・ん・・。何で俺、こんな・・」 そう言ってる側から、ぽたぽたと大粒の涙がキルヒアイスの腕に落ちた。 赤毛の若者は金糸を優しく梳きながら、頬の雫を指でそっと拭う。 「・・我慢する必要などないのですよ。私の前では、ラインハルトさまのままで いてください。」 潤んだ蒼氷が2、3度瞬いた。 「この前、ロイエンタールから・・陵辱を受けたのだ・・」 「・・・!」 「思うように体が動かなくて・・俺はお前が来なければあのまま・・」 「そ・・・」 「奴ひとりを御し得ないで、どうして宇宙を統一出来るか・・! 自分の不甲斐なさに 俺は情けなくて、お前に顔向けが出来なくて・・すまない。」 言葉が終わるか終わらないかのうちに、ラインハルトは大きな腕で抱きすくめられる。 「貴方が・・謝ることなどありません。ロイエンタール元帥には新領土へ行って もらいます。ラインハルトさまはこの私がお守りいたしますから。」 「キルヒアイス・・」 「二度とあの男には貴方に触れさせません。」 「・・キルヒ・・アイ・・ス・・苦し・・」 金糸の束がもがくのを見て、慌てて力を緩めた。 「すみません・・」 若い皇帝は小さく咳き込んでから、顔を赤くした親友を見やって微笑う。 「お前は優しいな。でもこういうことは俺にではなく、姉上にして差し上げろ。」 「え、いえ・・」 「こんなふうに優しくされると・・余計なことを考えてしまいそうになる・・」 そう言った金髪の若者はひどく寂しそうで、キルヒアイスはそれ以上、何も 言うことが出来なかった。 それから約一週間後。 様々な波紋を投げ掛けたまま、ロイエンタールはハイネセンへ新領土総督として 赴任していった。 本来、共に行くべきはずだったヤンは、イゼルローン要塞受け渡しの後処理のため 未だこの宙域に留まっている。 そんなヤンをラインハルトは度々、総旗艦に呼んでいろんな話を楽しんだ。 「イゼルローン受け渡しの処理の方はどうだ?」 「ええ。ほぼ完了しました。いや、私は殆ど何もやってはいないんですが」 きまりが悪そうに黒髪をかき回す。 「そうか。ではそろそろ卿もハイネセンへ発つのだな。」 「そうですね。2、3日中には」 「寂しくなる・・」 「私もです。でもこのように話が出来てとても有意義でした。」 「これで終わりではない。また会えるだろう?」 「ええ、きっと」 ヤンは人の良い笑顔を向けた。 「陛下。少しお痩せになりましたね。私が言うのも変ですが、あまり無理なさらず お体を大事にしてください。」 「卿が大人しくしていてくれれば、な」 意地の悪い皇帝の笑いに、ヤンは苦笑で返す。 「とにかく、貴方のことを心配している人はたくさんいるのですから」 「わかっている」 「私ももちろんその一人です」 「・・ありがとう。素直に・・嬉しい。」 はにかんだような笑いに、ヤンは動悸が激しくなるのを自覚した。 まるで美しい少女に付き合いをOKされた男のようだ、などとそんなことを考える。 そして次の瞬間、ヤンは自分でも信じられない言動をしていた。 「陛下、お願いがあるのです。今度ハイネセンへ行ったら、また暫くお会い出来なく なるでしょう。ですから、今夜、明晩でもいいのですが、私と付き合って下さい ませんか?」 一気にまくし立てた後、どっと汗が流れ出す。 少し驚いた様子の皇帝だったが、すぐににこりと笑い顔になった。 「ああ、構わないが」 「本当ですか?」 「ああ」 「じ、じゃあ、今夜でも?」 「ああ」 思わず小躍りしたくなるような気分になる。 本当に、好きな子との初デートを取り付けた男子学生のようだ、と苦笑した。 ブリュンヒルト内には、宇宙を展望出来る場所がいくつかある。 ラインハルトはそのうちの一つを、ヤンとの時間を過ごす場所に選んだ。 木製のテーブルとデッキチェアー2脚が置かれているだけの小さな空間。 ラインハルトと数人しか入ることが許されていない場所だった。 「ワインは?」 「頂きます」 透き通ったグラスがローズ色に染まる。 「ヤン元帥、ハイネセンへ戻ったら何をするつもりだ?」 「今度こそ退役します」 「そうか・・」 若い皇帝は静かに微笑った。 「では今度会う時は、”元帥”ではなく、ただの”ヤン”だな」 「その通りです」 「卿はどんな立場になっても変わるまい。人を惹きつける不思議な魅力がある。」 「私がですか?」 「ああ。卿と話していると落ち着くのだ。」 「光栄ですが・・私なんかより陛下にはキルヒアイス元帥がいらっしゃるでしょう?」 「・・・キルヒアイスか・・」 「?」 若い皇帝の顔に薄く翳が落ちる。 小さく溜息を付いてから、躊躇ったように言葉を選び始めた。 「前は確かにキルヒアイスといると安心出来たし、落ち着けた。だけど・・最近は 何か違っているんだ。自分でもよく分からないんだが・・」 「どう違うのですか?」 「・・逃げ出したくなる。一緒にいると息苦しくなって、頭がめちゃくちゃになって どうしていいのか分からなくなるんだ。」 「ははあ・・」 黒髪の若者はそういう話に敏感な方ではなかったが、それでも若い皇帝の悩みは 何となく想像が付く。 だが、それがもしも当たっていたとして、ヤンにとっては余り歓迎すべき事では ないのだった。 「キルヒアイス元帥はやはり貴方にとって特別な存在なのですね」 ヤンの言葉は若い皇帝の心を静かに揺り動かす。 いつの間にか心の塊が雫となって蒼氷に宿っていた。 「羨ましいです、キルヒアイス元帥が。貴方にそこまで想われて」 「いや、俺は・・」 「私も・・・・・」 ワインのせいだろうか。 それともここの場所のせいだろうか。 ヤンは自分でも思いもかけない行動を取っていた。 目の前に驚いた皇帝の顔 ほんのり濡れた薄桃色の唇 「あ、あの・・」 ヤンの声に我に返ったラインハルトは、慌てて口元を押さえる。 白皙の頬が真っ赤に染まった。 「すまない・・帰る」 それだけ言って、そのまま駆け出す。 どこをどう走ったのか思い出せないけれど でも行く先は間違えることはなく ラインハルトは親友の部屋の前に立っていた。 |