●誓約
「陛下、では私はこれで」 耳元に低い声を響かせて、暗茶色の髪の若者は敬礼を施した。 「処分されるなら慎んでお受けします。が、先程の行為はいい加減な気持ちからでは ないということだけは理解して頂きたい。」 「ロイエンタール、貴様・・」 「お大事になさってください」 長身を翻すと若い元帥は足早に退室する。 ちょうど入れ替わりの赤毛の若者とすれ違ったが、僅かに口の端を上げただけだった。 何か張り詰めたような空気を感じ取ったキルヒアイスは、若い皇帝の姿を捜す。 「陛下は寝室です」 横から小さな声がした。 「寝室? 君がいるってことは、どこか具合が悪いのか?」 「今朝、高熱を出されて倒れられたのです」 「何だって!?」 「でも、疲労によるものだということで休まれれば大丈夫と・・」 更に声を潜めて、少年侍従のエミールはそう告げた。 「今は会えるのか? そういえば、ロイエンタール元帥が来ていたようだが」 「あ、はい・・」 「何かあったのか?」 「いえ、そんなわけでは・・」 言いにくそうに視線を逸らし落ち着かない少年を見て、赤毛の若者は何事かあった という思いを強くする。 寝室のドアを軽くノックしてから中へと入った。 心配そうにしているエミールに、大丈夫だから、と外で控えているように言って 不自然に丸まっているブランケットに近づく。 「ラインハルトさま」 ぴくりと塊が動いた。 「熱を出されたそうですが、具合はどうですか?」 「・・いいわけないだろ」 怒ったような声に、赤毛の若者は小さく溜息を付く。 「和睦の件、理解るように説明してくださいませんか?」 「今は具合がよくないって言ったろ」 塊から金糸の束が頭を出して、苛立った声を飛ばした。 「・・私が想像していたよりもお元気で何よりです」 「っつ・・!」 熱で上気した顔が更に赤みを増す。 大きな声を出したせいか、ラインハルトは少し咳き込んだ。 「ラインハルトさま・・」 思わず手を差し出したのを軽く払って、若い皇帝はベッドに上体を起こす。 無意識に手で襟元を押さえていた。 「熱を出した時、夢を見たのだ。何故かこの艦に姉上がいて、俺にこう言うんだ。 ”自分より弱い立場のひとを攻めてはだめよ。暖かく迎え入れるだけの寛い心を お持ちなさい。”って」 「アンネローゼさまがそんなことを・・」 「夢で、な。だから俺は和睦することにしたんだ。」 「そうでしたか。よく、分かりました。戦わないで済むのならそれが一番いいのです から」 深青の瞳が穏やかに微笑むのを見て取ると、若い皇帝はほっと安堵の溜息を付いた。 だが、親友の次の言葉で、ラインハルトは再び緊張の谷に落とされることとなる。 「ところで先程、ロイエンタール元帥とすれ違ったのですが、ラインハルトさまに 何か用でもあったのですか。」 「え・・あ、ああ、ロイエンタールか。ああ。」 「?」 「お前と同じように和睦の意図を聞きにきたのだ。」 蒼氷色の瞳が忙しなく宙を移動する。 その様子にキルヒアイスは、やはり何事かあったのだと確信した。 相手はあのロイエンタールである。 今までの彼の所業から推測して、良いことはあまり想像出来なかった。 「それだけですか?」 襟元を押さえている白い指先がぴくりと揺れる。 その不自然な格好が赤毛の若者にますます不審を募らせた。 「ラインハルトさま・・?」 金髪がぶんぶんと左右に振られる。 視線を合わせることなくふいと顔を横に向けた。 「疲れた・・。悪いが、もうさがってくれ。」 納得しきれない思いが残ったが、ラインハルトの体調を考えるとこれ以上の長居も 出来ない。 キルヒアイスは一礼して部屋を退出した。 ドアの外で待機していたエミールが頭を下げた後、何か言いたげに赤毛の元帥を 仰ぎ見る。 「どうかしたのかい?」 「あ、あの・・どうしようかと迷ったのですが、キルヒアイス元帥にはやっぱり お伝えすべきかと思って・・」 「うん?」 「ロイエンタール元帥と陛下は何か言い合っていらっしゃったみたいで・・ その後、少し苦しげな陛下の声が聞こえてきたんですが・・」 「何だって?」 「でも、見たわけじゃないのではっきりとは・・」 「そうか。教えてくれてありがとう。このことは誰にも口外しないで欲しい。」 「はい、もちろんです」 自艦へ向かいながら、キルヒアイスの頭は先程のエミールの言葉でいっぱいに なっていた。 言い合って? 一体、何を言い合っていたというんだ しかもその後で、ラインハルトさまの苦しげな声だって? 一体、何を・・・・・・ ふ、と、キルヒアイスの脳裏に若い皇帝の白い指先が蘇る。 あれは・・・・・まさか? 頭に思い浮かんだ自分の予測に、赤毛の若者は思わず愕然となって足を止めた。 願わくば自分の思い過ごしでありますように・・ 数日後、帝国軍とヤン艦隊との間で和睦のための話し合いが行われた。 帝国軍総旗艦ブリュンヒルト内を会場として、銀河帝国皇帝・ラインハルトと ヤン艦隊司令官・ヤン・ウェンリーとの会見が持たれたのである。 この2人の会見はこれが二度目だった。 若い皇帝は懐かしげに黒髪の元帥を迎え入れる。 「ヤン元帥、よく来てくれたな。会いたかった。」 「お久しぶりです、陛下」 優美な挨拶に、ベレー帽を取って慌てて答礼した。 流れるような所作でソファへの着席を促すと、程なくして一人の少年が紅茶を 運んでくる。 「卿は紅茶が好きだと言っていたからな」 「覚えていてくださったのですか。恐縮です。」 褐色の液体はその芳香で、緊張した気持ちをリラックスさせてくれた。 いわば敵中に身を預けた形のヤンは、多少なりとも緊張していたのだが、この ダージリンの香りですっかりいつものペースに戻りつつある。 「陛下、どうしても聞きたいと思っていたことがあるのですが」 「何だ?」 「どうして和睦を? いえ、こちらとしては助かったのですが。あれ以上、 戦闘を続ける気力も体力もなかったし。でも、陛下は勝っていたはずなのに どうしてですか?」 金髪の若者は苦笑いを浮かべて、口元を僅かに綻ばせた。 「あるひとに諭されてな。それでだ。」 「・・そうでしたか。では、そのひとは私たちにとっては命の恩人ですね。」 蒼氷色の瞳が丸くなって、黒髪の若者を見返す。 「卿はやっぱり面白い男だな」 「あ、いえ、すみません・・」 ヤンは恐縮して黒髪をわさわさとかき回した。 「だが、こうして卿と再会出来たのだから、姉上には感謝すべきかもな・・」 「は?」 「いや・・・」 若い皇帝は、どこか遠い彼方に思いを馳せているかのようで。 その顔はとても美しかったが、同時に悲しそうでもあった。 黒髪の若者はそんな敵将の様子が妙に気になって、目を離せずにいた。 同じ頃、会見の間と隣接している控えの間には3元帥が顔を揃えている。 ラインハルトとの会見終了後に顔合わせをする予定だった。 だが、3人のうち少なくとも2人は、敵将との顔合わせよりも別のことに意識が 向いていて。 「キルヒアイス元帥、卿はヤン・ウェンリーとは会ったことがあるのだろう。 どんな男なのだ?」 蜂蜜色の髪の若者が言葉を向ける。 「そうですね。穏やかで凡庸としているように見えましたが、本心では何を 考えているのか計り知れない、といったような印象を受けました。」 「ふむ。まあ、あれだけの戦術を仕掛けてくる男だ。ただ者でないことは確かだな。」 ミッターマイヤーは納得したように頷いてみせてから、今度は隣の親友に話を向けた。 「卿はどう思う?」 向けられた男は、金銀妖瞳を一瞬光らせてから、僅かに口の端を上げる。 「確かにさすがと認めざるを得んほどの戦術家だ。俺の作戦案は全滅だったからな。」 「ロイエンタールの案が・・・! それはかなりの強敵だな」 「とてもそのようにキレるタイプには見えないのですが・・」 キルヒアイスも苦笑いを零した。 「陛下と2人きりにして大丈夫なのか?」 「心配ないと思います」 「・・・別の意味で心配ではあるがな」 挑戦的な笑みは明らかに赤毛の若者に向けられている。 「それは、どういう意味ですか、ロイエンタール元帥」 「敏感な卿のことだ、もうおおよその見当が付いているのではないか?」 「・・・何のことか分かりません・・」 「何だ、ロイエンタール?」 暗茶色の髪を指で軽くかき上げて、若い元帥は目の前のコーヒーカップを口に 運んだ。 「陛下はヤン・ウェンリーに好意をお持ちのようだ」 「そんなことは以前から分かっていたことだろう。好敵手として認めていらした。」 「そんな意味ではない。純粋に愛しているということだ」 「え!?」 赤毛と蜂蜜色の髪の若者はほぼ同時に叫ぶ。 「おいおい、ロイエンタール、それはちょっとないだろう?」 半ば呆れ顔でミッターマイヤーが肩を竦めた。 「どうかな?」 金銀妖瞳が薄く笑う。 キルヒアイスは体の血が天辺に昇っていくのを自覚していた。 鋭い視線をロイエンタールに向ける。 「まだ間があるな。俺は少しテラスに出ている。お呼びがかかったら知らせてくれ」 親友にそう声を掛けると、大股に歩いて隣室のテラスへと歩を進めた。 吹き抜ける風がルビー色の髪を揺らす。 「来たか・・・」 背中をむけたまま、低い声がそう呟いた。 一呼吸置いてから、赤毛の若者は気になっていたことを言葉にする。 「お聞きしたいことがあります」 ゆっくりと広い背中が回転して、色の違う両目が興味深そうに視線を投げ掛けた。 「さて・・・何かな?」 |