●誓約





そして、早春のある日。
皇帝自らが率いる、イゼルローン攻略のための帝国軍精鋭部隊の出兵が始まった
のである。

総旗艦ブリュンヒルトには、ラインハルトと総参謀長としてロイエンタール元帥が
搭乗した。前衛にはミッターマイヤー元帥の軍、後衛にはミュラー上級大将の軍が
鉄壁の護りを担っている。
キルヒアイス率いるもう一つの帝国軍勢力は、イゼルローンの逆の出口を固めていた。
そして、フェザーンではオーベルシュタイン元帥がその留守を護る。



当初の予測どおり、イゼルローンは簡単には落ちなかった。
互いに持てる最高の戦略と戦術を繰り出し、一歩も退くことがなかったのである。
「さすが、ヤン・ウェンリーだな」
思うような勝利が得られないはずなのに、若い皇帝は寧ろこの戦いを楽しんでいるかの
ようだった。
斜め下の指揮椅子に腰掛けている皇帝の不敵な笑みに、ロイエンタールは短く同意の
返答だけ返す。
だが、それは表面上のことだった。
ロイエンタールにしてみれば、自分の立てた作戦案を悉く打破されては、相手の手腕に
感心ばかりもしていられないのである。


それにしても・・・
陛下の何と楽しそうなことか
強敵と合間見えて軍神の血が騒ぐのだろうか


金銀妖瞳の元帥は軽く嫉妬を覚えた。
自分では我が皇帝を満足させられない悔しさと、それら全てを持っている敵将とに。
そして、自分には決して向けられることのない皇帝の称賛と憧憬を、必ず手に入れたい
と強く願った。


「ロイエンタール、どうだ、いけそうか?」
金髪の若い皇帝は形の良い顎に指をあてがったまま、斜め後ろに目をやる。
「はい、今度こそ必ず」
「期待している」
若い元帥は身震いした。
これで失敗するようなことがあれば・・・
それだけは許されないと思った。



だが
戦いは一進一退を繰り返し、両軍の疲弊の度合いは深さを増していった。
そして、戦いは思わぬ事態により決着を見ることになる。

「ヤン元帥、敵からの通信が入っています」
オペレーターの緊張した声に、黒髪の司令官はベレー帽を取った。
「読んでくれ」
「”こちらは銀河帝国皇帝、ラインハルト・フォン・ローエングラムである。
当方は和睦の意志があり、戦闘の中止を要請するものである。”」
艦内に大きなざわめきが起こる。
ヤンは黒髪をかき回しながら暫く何か考えて、それから顔を上げた。
「とにかく、戦いはこれで終わりってことだ。みんな、お疲れさま」
安堵と歓喜の声があちこちで上がる。
「元帥・・」
ユリアンが複雑な表情で保護者を見つめた。
「まあ、どういう事情があるにせよ、戦いは終わるんだ。とにかく今はゆっくり
寝て・・後のことはそれからさ」
心配そうな被保護者の頭を撫でて、黒髪の若者は僅かに笑みを零す。


イゼルローンの逆の出口に陣取っていたキルヒアイス軍にも、和睦の報は
届けられた。
赤毛の司令官は驚きを隠せない。
若い皇帝の性格を誰よりも理解っている彼には、ラインハルトが退くなどという
ことはどうしても想像出来ないことだったのである。
ラインハルトの身に何か起きたのではないか。
そう直感した。
キルヒアイスは急ぎ総旗艦へ皇帝とのコンタクトを試みたが、多忙を理由にそれは
実現されることはなく。
埒があかないと判断した赤毛の若者は、旗艦バルバロッサのみを駆り、親友の元へと
急いだ。


同じ頃、事態を知った帝国軍内は大騒ぎになっていて、総旗艦内ではその度合いは
尚更だった。
総参謀長であるロイエンタールにしてみれば、正に”寝耳に水”状態である。
自分に一言の相談もなく
今度こそ倒せる算段をしていた敵と和睦など、屈辱以外の何ものでもない。
歩調も荒々しく、司令官室のドアを叩いた。
「陛下、お話があります」
暫くすると、おずおずと鳶色の塊が小さく開いたドアから覗く。
皇帝付きの少年侍従で、エミール・フォン・ゼッレといった。
医術を学んでいるこの少年は、ラインハルトに請われて側仕えをしているのである。
「陛下はただ今、お休みになっています。後にしてはいただけませんか」
控えめではあるが凛とした口調だった。
「急ぎの用なのだ。」
「ですが・・」
その時、部屋の奥から声がした。
「ロイエンタールか。よい、エミール、通せ」
部屋に入った暗茶髪の若者は思わず驚きの声を上げる。
金髪の若い皇帝が熱で上気した顔で、ベッドに横たわっていたからであった。
「陛下、どうされたのですか?」
「今朝、高い熱で倒れられたのです。」
エミールが病状の代弁をする。
「それで、悪い病なのか?」
「いえ、少し休まれれば大丈夫です」
責めるような口調に少年は泣きそうな表情になった。
「ロイエンタール、エミールを責めるな。」
「あ、いえ、そういうつもりは・・」
金銀妖瞳の元帥は一つ息を付いて、言葉を続ける。
「ところで陛下、敵と和睦と聞きましたが、陛下の病状と関係があるのですか?」
祈るような面持ちで若い皇帝を見つめた。
ラインハルトは視線を落とし、それからゆっくり持ち上げる。
「俺はヤン・ウェンリーを負かすことだけを考えてきた。そうしなければ宇宙を
統一することは叶わないと思っていた。だが・・そうとも限らないと・・病に倒れて
自分の存在の小ささと脆さを思い知らされた。」
金銀妖瞳の若者は、驚きと憤りと歯がゆさとで思わず叫んでいた。
「どうしたのです、陛下!? そんな考え方は陛下らしくありません。陛下には
常に前へ、そして陛下とともにあれば勝利の美酒に酔えると、そう思わせて頂きたい
のです。ヤン・ウェンリーになど屈して欲しくはない。」
「元帥、お願いです・・!」
エミールが泣き顔で止めようとするのを制止して、席を外すように促す。

「ロイエンタール、卿の言いたいことも思いも理解している。だが、もういいのだ。」
「・・・私の気持ちは治まりません。今度こそ、あの男に勝てると思っていたのに
これでは永遠にその機会を失ってしまう。この先ずっと、陛下に誤解されたままだ」
「誤解?」
「そうです。ヤン・ウェンリーより低能だと、弱いと、そう思われることは死ぬよりも
辛い・・」
「卿が低能であるはずはないだろう。もし本当にそうだとしたら、卿を登用した俺も
同じということになる。」
「陛下・・!」
ロイエンタールはそれ以上何も言えずにその場に立ち尽くした。


貴方はいつもそうやって、反論の余地を与えないのだ
貴方の言うことはいつも正しい

そして微笑って
俺の隠し持っている”牙”を容赦なく引き抜いていく

だからその前に
貴方の手足を縛ってしまおうか・・・


金銀妖瞳が鈍い光を放つ。
滑るようにベッドの脇に移動すると、若い皇帝の痩身を抱きすくめた。
「な・・! 何をするっ!」
慌てて拘束から逃れようと体を捩らせる。
「私はずっと前から貴方だけを見てきた。貴方の才に惹かれ、それに賭けてみようと
決めたのです。貴方に認められないことは私にとって魂を抜かれたも同然だ。」
「俺は卿のことを高く評価している。さっきもそう言っただろう。」
「だが、陛下、貴方はヤン・ウェンリーとの戦いの機会を私から奪ったのです。
そこまでして、あの男を生かしておきたいとお望みですか?」
「そういうことではない」
「では、どういうことだと? ヤン・ウェンリーに何か特別な感情でもお持ち
ですか?」
「言っている意味が分からぬ。放せ・・!」
「では、お教えしましょう。こういう意味です、陛下」
若い元帥は形の良い白皙の顎を持ち上げると、薄桃色の唇を自分のそれで塞いだ。
「ん・・ぅ」
苦しげな声が漏れる。
一旦離しても、またすぐに逃げようとする舌を絡め取った。
繰り返すうちにラインハルトの息は上がり、瞳の端には透明な雫が溜まって。
「は・・あ・・はあ・・」
溢れ出した雫がポロポロと零れ落ちる。
「陛下・・」
「放せ・・・」
蒼氷が金銀妖瞳を睨みつけた。
「・・・陛下はヤン・ウェンリーを愛していらっしゃるのですか?」
「ヤンとは一度しか会ったことがないんだぞ。それを・・!」
「回数ではありません。例え一度だけであっても、惹かれ合うことだってある」
「俺とヤンはそういうことは・・・ない!」
薄紅色に染まった顔を強く左右に振る。

「では・・誰に遠慮することもないというわけですな」
色の違う両眼がシンクロしたように光を反射した。
金髪の若者の透ける様な白い肌が艶めく。
「・・っつ・・!」
鎖骨のラインを辿っていた唇が窪みを見つけ、そこを強く吸うと、あっという間に
美しい紅の大輪が咲き誇った。
「や・・やめ・・ろ、ロイ・・エンタ・・ール」



その時、ドアの向こうからエミールの声が響く。
「陛下、あの、キルヒアイス元帥がいらっしゃいましたが・・」
ビクン、と痩身が強張った。


また、キルヒアイスか・・・
一体どこまで俺の邪魔をすれば気が済む?


金銀妖瞳の若者は小さく舌打ちして、自嘲気味の笑みを浮かべる。

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