●誓約





貴方を守る
そのために私はこの世に生を受けたのだ
愛しいひとよ
どうか私の名を呼んで欲しい




フェザーンの仮住まいとして、皇帝となったラインハルトが選んだのは、本営のある
ホテルから車で5分ほどのところにある屋敷である。
ここに、姉・アンネローゼと元帥になったキルヒアイスの3人で住んでいた。
側近たちはもっと広い屋敷を勧めたが、アンネローゼの気に入りということもあり、
若い皇帝はここでいいと断ったのである。

それぞれ立場は変わったが、14年前の幸せだった頃が戻ってきたようで。
執務が終わると、ラインハルトとキルヒアイスは急いで姉の待つこの屋敷へと
帰るようになっていた。



その日は朝から冷え込んでいて、日が暮れる頃にはちらちらと雪が舞い始めた。
屋敷のドアを開けると芳香が鼻孔をくすぐる。
白いエプロン姿のアンネローゼが、けぶるような笑顔で2人を出迎えた。
「今日は特別なお祝いの日だから、貴方達の好物を作ったのよ。」
2人は同時にその料理名を頭に思い浮かべて、顔を綻ばせる。

「ジーク、誕生日おめでとう」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
控えめだが弾んだ声が答えた。
「いくつになったの、ジーク?」
「24です」
「そんなに大きくなって・・」
感慨深げにアンネローゼが赤毛の若者を見上げる。
「アンネローゼさま・・」
「姉上、キルヒアイスだっていつまでも子供じゃありませんよ。」
若い皇帝は笑いながら親友と姉を交互に見やった。
「そうね・・」
小さく呟くとアンネローゼは微笑みを零す。
白皙の頬がうっすらと薄桃色に染まっていた。
そんな姉の様子を見て、ラインハルトは抱き続けていたある思いが正しかったことを
確信していた。
15歳にして後宮に納められ、人並みの恋愛も経験することのなかった姉。
その姉がやっと自由になり、そして心から愛せる相手に出会ったということ。
・・・応援してあげたかった。
自分の出来うる限りのことをしてあげたいと、そう思う。

ひとしきり食事が済むと、ラインハルトは一人先に席を立った。
「ワインが足りませんね。持ってきます。」
姉とキルヒアイスを2人きりにしてあげようという、彼なりの心遣いである。
「ラインハルトさま、私が」
「いいんだ。お前は座っていろ。今日はお前の誕生日なんだからな。」
慌てて席を立とうとする赤毛の若者を制して、金髪の若者は笑った。


庭はいつの間にか白い絨毯で埋め尽くされている。
2階のテラスからその景色を眺めていたアンネローゼは、ほうと溜息を付いた。
「貴方と出会ってからもう14年になるのね。」
「はい・・」
赤毛の若者は恐縮して顔を赤らめる。
「本当に弟が世話になっていますね。ありがとう」
「いいえ。私の方こそ・・」
「ラインハルトは銀河帝国の皇帝という地位に就いたけれど、あの子の目標はまだ
先にあるようで。私はもう十分だという気がするのだけれど・・・」
金糸に囲まれた形のよい面に翳が落ちる。
「戦いはいつまで続くのかしら・・」
「ラインハルトさまは争いのない世界を目指しておられます。ラインハルトさまの
手で宇宙が統一されれば、民衆のための平和な世の中が来るでしょう。」
「そうね。でもそうなるまで貴方たちは戦い続けなくてはならないのでしょう。」
弟のそれより少しだけ薄めの蒼氷色の瞳が、憂いを帯びて赤毛の若者を見つめた。
キルヒアイスは息を止める思いでそれを受け止める。
「もう少しのご辛抱です、アンネローゼさま。アンネローゼさまを悲しませることの
ないように、私が全力でラインハルトさまをお守り致します。この命に代えましても」
金糸が激しく頭を振った。
「いいえ、いいえ、ジーク。それではだめです。貴方とラインハルトと2人とも
無事で帰ってきてくれなければ。どちらかがもう片方の犠牲になるような関係は
長続きしません。どうか2人とも無事で・・・約束してください、ジーク。」
「・・・はい、お約束します。」
赤毛の若者が頷くと、アンネローゼはやっと安心したように微かに顔を綻ばせる。
それから2人は互いに言葉を交わすこともなく、ただ静かに時間だけを共有した。


「持ってきましたよ」
金髪の若者の声がして、2人の時間は終わりを迎えた。
「ジーク、風邪を引いてしまうわ。中に入りましょう。」
けぶるような微笑みが赤毛の若者を部屋へと誘う。
冷えた2人の体に、暖炉の火とワインが暖を与えてくれた。




そして、春が訪れる頃、銀河に再び戦乱の予兆が訪れる。
同盟首都星ハイネセンから出奔したヤン・ウェンリー率いるヤン艦隊が、イゼルローン
要塞奪還に成功したとの報が入ったのである。

「出撃だ」
若い皇帝は神経の昂ぶりを抑え切れないように、御前会議の席上、そう宣言した。
久しぶりの出撃に居並ぶ将帥たちは色めき立つ。
一週間後の出発が決定した。

その晩、キルヒアイスは実家の両親に挨拶に行っており、久しぶりに姉弟水入らずの
時間を持つことになって。
ふと、食事の手を止めたアンネローゼが顔を上げた。
「また、戦いが始まるのね・・」
寂しそうで儚げな姉の顔に、金髪の若者は胸が痛む。
「これで最後です、姉上」
「本当にそうだといいのだけれど・・」
「必ずそうさせてみせますよ」
長い睫毛が白い面に翳りを刻んだ。
「姉上・・・姉上にお願いがあります」
緊張を含んだ弟の声に、訝しげに金糸の束が持ち上がる。
蒼氷色の瞳は一瞬、視線を逸らし、言葉を選ぶように淀んだ。
「キルヒアイスを・・・暫く私にお貸し下さい。」
「え・・?」
姉は驚きの表情を弟に向ける。
「姉上には申し訳ないと思っています。でも、宇宙を手に入れるためには
彼の力が必要なのです。私一人の力では無理です。ですから・・今少しだけ
キルヒアイスをお貸し頂けないでしょうか。」
「ジークは私のものではないわ。それに、もう貴方の側にいるでしょう?」
訝しげに小首を傾げて、アンネローゼは弟を見やった。
「・・姉上。一つお聞きしてもいいですか?」
「ええ」
「姉上は・・・キルヒアイスを愛していらっしゃるのでしょう?」
長い金髪が大きく揺れる。
白皙の頬がほんのり薄桃色に染まって、質問の答えが肯定であることを示していた。
若い皇帝は自分の考えが正しかったことに安堵するとともに、自分でも理解し難い
複雑な感情が湧き上がるのを感じていて。

「ラインハルト、私は・・・」
若い皇帝はゆっくりと頭を振る。
「姉上、長い間、キルヒアイスをお借りしっぱなしで申し訳ありませんでした。
今少しだけ、私の我儘をお許しくださいますか。」
「我儘だなんて・・」
「すみません、寂しい思いをさせて・・」
「いいのです。私はただ、貴方たちが無事であるならそれだけで・・」
「はい」
金髪の若者は姉にだけ見せる表情で、微かに笑った。



数日後、実家から戻ったキルヒアイスを、ラインハルトは自室に呼んだ。
空には満ちた月が、銀色の光を窓辺に落としている。
テーブルのグラスに注がれたワインは、薄いトパーズ色の光を反射していた。
「ご両親はお元気だったか?」
「はい、おかげ様で」
「キルヒアイス、今度の戦いで決着をつけるぞ。」
「はい」
「これで姉上に安心していただけるからな」
「そうですね」
「他人事みたいに言うな」
「は?」
「お前が姉上を安心させるんだ」
「え? あの、それは・・・」
「しらばっくれても無駄だぞ。お前の気持ちは知っているんだからな」
「ラインハルトさま・・」
赤毛の若者は困惑したように睫毛を2,3度瞬かせる。


私の気持ち・・・
本当に貴方がご存知なら
そんなことは・・・言わない


小さく溜息を付いた。
親友に気付かれないくらいの本当に微かな。
「私の気持ちは別としても、アンネローゼさまに安心して頂けるように全力を
尽くします。」
「姉上はお前に無事に帰ってきて欲しいと望まれている。俺も同じだ」
「ラインハルトさまこそご無事で。私がお守りいたしますので。」
深青の視線をふいと逸らせた金髪の若者は、グラスに目をやったまま呟いた。
「キルヒアイス、今度の戦いが終わって俺たちの夢が叶ったら、お前は後方勤務に
回れ。」
「ラインハルトさま?」
「お前には姉上の側にいて欲しい。前線に出て危険な目に遭わせたくないんだ。」
赤毛の若者は瞠目して、若い皇帝を見つめる。
今までずっと一緒に駆けてきたではないか。
最後まで一緒に行くものだと、そう思っていた。
「ラインハルトさま、何故急にそのようなことを言うのです? 私はこのまま・・」
若い皇帝は金糸を強く左右に振った。
「姉上が、姉上がお前に側にいて欲しいと望まれているのだ。お前だって姉上のことを
大切に思っているだろう。姉上を・・・愛しているだろう。」
「・・・ラインハルトさま・・」


アンネローゼさまを大切に思わないわけがない
私たちはアンネローゼさまを取り戻すために
今もまだ戦い続けているのだから

でも
私が本当に側にいたいと思うのは
貴方なのです・・・ラインハルトさま

私はもう貴方には必要のない人間なのでしょうか?
貴方を守ることさえも
許されないのでしょうか・・・


じっとワイングラスを見つめていた深青の瞳が、瞼を瞬かせる。
暫く沈黙が続いた後、キルヒアイスは顔を上げた。
「・・・仰せのままに」

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