●許されざるもの





茶朔洵 −
秀麗にちょっかいをかけていると聞いた時から、その存在は静蘭の中では、半死半生に
する対象のリスト一番手に上げられていた。
そして今日、実際会ってみて、その思いは揺るぎないものになった。
それどころか、即行で抹殺したいほどだった。
彼の大事なお嬢様を、あれほど心乱した罪は万死に値する。
静蘭は秀麗の寝顔を見ながら、拳を震わせた。
ここ数十日の疲労が積もり積もって、秀麗はとうとう倒れてしまったのだった。
皆と別れて一人で金華に辿り着く算段をし、慣れない他人との旅をし、その上、今まで
共に旅をしてきた男がよりにも寄って茶家の次男だったとは。

更に、静蘭にとっては到底許しがたい事実が判明したのである。
茶朔洵の告げた言葉が静蘭の脳内を暗く侵食していく。
『君を晁蓋のもとへ運んであげたのは私だよ。』
あの地獄のような場所、”殺刃賊”に放り込んでくれたのは・・・・・
激しい憎悪の念が再び湧き上がるのを抑えることが出来ない。
静蘭は無言で秀麗のいる部屋を後にして、邸の外に出た。
邸のすぐ裏には竹林があり、静蘭は人気のないその場所で干將を抜いた。
感情をぶつけるように数本の竹をなぎ倒していく。

お嬢様を惑わし、自分を殺刃賊に放り込んだ男 − 茶朔洵
何より自分の過去を全て知っている存在だった。
”亡霊退治をする”と、燕青にも告げた。
静蘭にとっては、瞑祥に次いで何としても葬り去らねばならない相手であった。



「静蘭」
ふいに名を呼ばれて振り返ると、燕青が棍を片手に少し離れたところからじっと
こちらを見ていた。
「荒れてんなー」
暢気そうに言う友人をじろりと睨みつける。
「あの男だけは絶対に許さん。必ず私の手で地獄へ送ってやる。」
「まさか、朔があーんなヤツだったとは俺も不覚だったぜ。」
溜息混じりに燕青が呟いた。ただの生産性なしのボンボンだと思っていたのに。
「お嬢様は起きたか?」
「いや。でもあれは安心して爆睡してるってやつだな。影月も、心配ないって
言ってたしな。」
「そうか・・」
「なあ、静蘭。姫さんは朔なんかに負けねえよ。大丈夫だって」
再び氷のような青碧色の視線が燕青に突き刺さる。
「普通の男ならな。だが、ヤツは異常だ。人でなしの残酷な男だ。お嬢様の
真っ直ぐな正義や信念は残念ながら通じない。」
「・・・言葉に棘があるな、お前」
「事実を言っているまでだ。」
静蘭は干將を鞘に収めて、その場を去ろうとした。
その腕を燕青がついと掴む。
「言ったろ。亡霊退治、俺も一緒にやるって。一人でやろうなんて無茶するなよ?」
数拍の後 −
無言で燕青の手を剥がすと、静蘭は泣いたような笑ったような微妙な表情を見せた。
「茶朔洵は、私一人でやる。お前はこれ以上手を下すな。」
予想外の言葉に燕青は目を剥いた。
「どういうことだよ、静蘭」
「お前はもう剣を持つな。この意味がわかるな。」

かつて逆の立場で2人は相対したことがあった。
あの時は燕青が静蘭を守ってくれた。
結果的には剣を抜かざるを得なかったとしても。
だから
燕青の太陽のような笑顔を失いたくないから
茶朔洵は自分がやるしかないのだと
静蘭はそう決めていた。
だが、言葉に出しては別のことを言った。

「相手は化け物のようなやつだ。私でなくては仕留められん。それに、ヤツには
個人的にいろいろある。邪魔はするな。」

去っていく静蘭の後姿を見つめながら、燕青は一つ溜息を付いた。
「相変わらず素直じゃねえなあ・・・。俺の気持ちなんてお構いなしかよ。」




数週間後、茶家当主選定式も無事終わり、三男の克洵が当主の座に着いた。
この場に来るはずの朔洵の姿はどこにもなく、同時に静蘭もいなくなっていた。
胸騒ぎを覚えた燕青は一人、茶本家の朔洵の部屋へ向かった。


その頃、静蘭と朔洵の1対1の戦いは終盤を迎えていた。
互いに杯を飲み干し、卓子に残されたのは数えるばかり。

「お前は私を晁蓋のもとへ運んだ、と言ったな。」
「ああ。君の腕なら十分素質があると思ってね。親切だろう。」
「親切だと・・」
「だって、あのまま放置していたら間違いなく君は死んでいたよ。
それを私が助けて、晁蓋に預けたんだから、君には感謝して欲しいな。」
「ふざけるな! そのせいで私がどんな目に遭ったか・・!」
「だが、殺しやしなかったろう。私がそう言ったからね。君には生き地獄を
味わわせてあげたかったのさ。公子さま。」
「貴様っ・・!」
干將の刃が卓子を真っ二つに切り裂く。
朔洵はまるで羽が生えているかのごとく、ふわりと後ろへ跳んだ。
「そんなもの振り回してよく平気だね。中和薬を先に飲んでおくなんて卑怯じゃ
ないか。」
「お前こそ、どうして何ともない? おかしいだろう」
「私はいつも飲んでいるから耐性が付いているだけだよ。」
「化け物め・・!」
2人は薄暗い部屋のなかで剣を構えて対峙した。

「ねえ、小旋風。私は君のことが好きだったよ。」
「は・・・?」
「綺麗で完璧で気高かった公子さま、そんな君が私の手の届くところに降りてきた。
どうしてだろうね、その時、私はそんな君をめちゃくちゃに壊してやりたいと思った
んだよ。君が奈落に堕ちていく様を見たいと思ったんだ。」
静蘭の背中を殺意がずずと這い登る。干將を思い切り叩き付けた。
だが、振り下ろした先に朔洵の姿はなく、気が付けば柄の上からふわりと飛び降りる
ところだった。
スローモーションのように朔洵の腕が伸ばされ、静蘭の顎を捉えると上向かせる。
紅い唇が魅力的な笑みを閃かせたかと思うと、静蘭にふわりと口付けた。
「君を愛していたよ、清苑。でも命をあげるのは君じゃない。・・・さようなら」
静蘭がはっと我に返ったときは、朔洵の姿はもうどこにもなかった。


程なくしてバタバタと廊下をかける音がしたかと思うと、燕青が勢いよく扉を
蹴破って飛び込んできた。
「静蘭! 無事か?」
「・・・遅いぞ、コメツキバッタ。朔洵は・・もうここにはいない。」
肩で息をする姿を見て、燕青は慌てて駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫か。どこかやられたのか・・・って、おわ! お前、酒臭っ!!」
「喚くな、頭に響く・・。くそ、こんな強い酒・・入れやがって・・」
「朔洵はどこだ? お前、ヤツと一体何を・・」
「言っただ・・ろう。私一人でやる・・と。だが、仕留め損ね・・た。」
崩れ落ちる友人を抱きとめて、燕青は溜息を零した。
「だーから俺が一緒に手伝ってやるって言ったのに」
意識を手放した静蘭を背中に担いで、燕青はその場から離れた。



静蘭が酒気を完全にその体から消し去った頃、当の朔洵は忽然と姿を消していた。
寧ろ情況から見ると、死んだと考える方が自然だと言えた。

「茶朔洵の遺体は見つかったのか?」
「いや。でも残されていた血の痕から猛毒を飲んでいたのは明らかだ。しかも
それを姫さんのせいにしやがって・・どこまでも見下げ果てたやつだぜ、朔のヤツ」
「そうか・・それであんな・・・」
青白い顔をしていた。少しだけ触れた唇も冷たかった。

「茶朔洵の人生を狂わせた原因の一つは、私にもあるのかもな」
庭の池を見ながら静蘭がぽつりと零した言葉に、燕青が顔を上げる。
「どーいうこと?」
「いや・・・」
薄紫の束が左右に軽く振られる。
「だが、お嬢様をあのように苦しめることの言い訳には塵ほどもならないがな。」
「そーだな。全く最後の最後まで・・・」


『君を愛していたよ、清苑』


だから穢したかったのか?
だから壊したかったのか?
全く素直じゃない・・・


静蘭の青碧色の瞳から一筋の雫が零れ落ちた。
何のための涙だろう。
静蘭自身にも解らなかった。

「静蘭・・?」
「何でも・・ない」
燕青の温かな指先がついと雫を拭き取る。
「お前には俺がいるだろ? 安心しろ」
優しい笑みに、今日ばかりは静蘭も何も言わなかった。




<END>




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作者コメント

朔洵はどうして静蘭を目の仇にしているのか。
それは強い執着の裏返しなのではないのか、
などと勝手に妄想したりしています。
燕青と静蘭をもっとくっつけようという私の
計画は今回も脆くも崩れ去ったようですが・・
(2009.9)

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