●過去との遭遇





その存在の噂は、確かにここ茶州に入ってから何度か耳にしていた。
それでも、静蘭と燕青の2人にとっては、出来れば顔を見たくない相手でもあった。
特に静蘭にとっては −

だが、運命はそんなことなどお構いなしに、勝手気ままに、人と人との出会いを
演出するものである。



それは、2人が秀麗たちと別れて、共に金華に向かっている時。

「本当に小旋風までいるとはな。運命を感じるな。」
忘れようもない、低く響くその声に静蘭の全身が総毛立った。
「・・・瞑祥・・・」
あの地獄のような場所、「殺刃賊」。
そこで、自分の尊厳を踏み躙り、陵辱し、限りなく奈落へと叩き落した男。
毎日毎日たくさんの人を殺し、罪を重ねていった過去。
瞑祥はそう仕向けた張本人であり、それを眺めて楽しんでいたのであった。

「久しぶりだな、小旋風。あれから14年か。相変わらず綺麗な顔をしている。
どうだ? そんな男と一緒にいないでまた私の元へ来ないか。可愛がってやるぞ。」
殺意が背中を駆け上る。呼吸が上手く出来ない。握った拳が震えた。
「どうした? 私との再会がそんなに嬉しいのか。ガキのお前も良かったが、
今の成熟したお前も捨てがたい。・・・また、抱いてやろうか。」
激しい憎悪が体を貫いた。無意識に剣に手がかかった瞬間、すっと燕青が前に立った。
「瞑祥のおっちゃん、相変わらず変態だな。こいつはもうてめぇなんかに関わってる
ヒマなんかねえんだよ。可愛い姫さんがいて、超幸せなんだからな。邪魔すんなよ。」
「ほう、”小棍王”、生きてたのか。相変わらず小旋風の保護者面か。それとも
何か弱みでも握っているのか? そうでなければ大人しくお前になど飼われている
タマじゃないだろう。何かコツがあるなら教えて欲しいものだ。」
瞑祥の下卑た笑いに、燕青は眉根を寄せた。
「あのな、俺とこいつはお友達なの。対等な関係ってやつ。飼われてるって何だよ。」
「そんな戯言を信じると思うのか? お前が小旋風に勝って、褒美として貰った時から
もうお前のものだからな。つまりは好きにしていいってことだ。そうだろう?」
燕青はチラと後ろの友人に視線をやった。
柄に手をかけたまま、凍りついたように動かない。顔からは血の気が失せていた。
「・・おい、これ以上、こいつを侮辱するようなこと言いやがったら、ぶち殺すぜ。」
「お前は本当に可愛くないな。焦らずとも後でちゃんと相手してやる。棺桶も用意
しておいてやろう。私は親切だからな。」
「てめえの分もとっといてやるよ。」
「ふふ・・お前の無様な死に様、楽しみにしてるぜ。小旋風の方はまた手元において
可愛がろうか」
ぎゅっと燕青の上衣の裾が引っ張られる。その手は小刻みに震えていた。
「誰が変態野郎なんかに渡すかよ。こいつは俺のもんだ。とっとと失せろ。」
「・・・まあ、いい。今日はお前らの面見に来ただけだからな。金華で待ってるぜ。
逃げるなよ?」
低い笑い声を残して、瞑祥は闇の中へ姿を消した。


燕青は瞑祥が消えた闇をじっと睨み付けた。
そして、振り返らずに、背中へ隠した友人に言った。
「行っちまったぜ」
その声に、張り詰めていた空気が緩むのが分かる。
裾を握り締めていた掌がゆっくりと外されていった。
「全く、歳食うと執念深くなってやっかいだよな。」
「・・・」
「大丈夫か、静蘭?」
「ああ・・」
元々色白な青年の顔が、一層白く際立って見える。
ゆっくりと振り返った燕青は、小刻みに震えている静蘭の肩をポンポンと叩いた。
「しっかし、まさかこんなとこで瞑祥のヤローに会うなんてな。人生何が起こるか
わかんないよなー」
それでも俯いたままの薄紫の塊を、燕青はぐいと抱き寄せた。
「大丈夫だって。俺がいるだろ?」
「・・・誰が「俺のもん」だ。勝手に決めるな。」
「いいじゃん。俺、お前を誰にも渡す気ないからな。」
「私は物ではない。」
「わかってるよ。俺の大切な友達だ。」
「・・・・・いい加減、放してくれないか」
「えー、もう? もうちょっとこうしてたいなー」
「お前な!」
「元気出てきたじゃん。」
静蘭は問答無用でクマ男を引っぺがした。
つれない友人に名残惜しげな視線を送りつつ、燕青はぽつりと呟く。
「静蘭、俺はいつでも傍にいるからな。」




平気だと思っていた。だが、全然そうではなかった。
瞑祥に会って、こんなにも自分が揺らぐことになるとは。

『また私の元へこないか。可愛がってやるぞ』
『・・・また抱いてやろうか』

心の奥底の更に奥に封印していた記憶が蘇る。
14年前、燕青と出会う前のあの地獄の日々。
血の臭いと腐臭と金属の錆びた臭いが充満していた場所。
いつもあの男は哂って見ていた。
人間としての誇りも何もかも奪っていった。
ただ、自分という存在を独り占めしたいがためだけの我儘な欲望。

じっとりとした手が伸びて、動けなくなった白い腕を掴む。
そのまま両腕を地面に押さえつけて馬乗りになると、その男は下卑た笑いを浮かべた。
叫んでも声にならない。
喉が枯れて、目の縁から涙が零れ落ちた。
繰り返される行為に、感じるはずの鈍い痛みも麻痺していた。
・・・モウ、ヤメテ
ソンナコトナラ、イッソ・・・・・



「・・いらん!・・静蘭!!」
自分を呼ぶ声と激しい体の揺れに、静蘭は我に返った。
「おい、大丈夫か?」
目の前に黒檀の双眸があった。
「・・・燕青」
周りは闇に包まれていて、焚火の炎だけがほんのり辺りを照らしている。
「随分うなされてたみたいだぜ。恐い夢でも見たか?」
「・・・・・私は何か言ったか?」
「いや・・・」
燕青は髭をひっぱりながらふいと視線を外した。
明らかに怪しい行動に、静蘭は溜息を付いた。
嘘が下手な男だ。
「・・・何でもない。忘れろ。」
すると、目を剥いた燕青がずいと顔を近づけてきた。
「忘れろだあ? 何言ってくれちゃってんだよ。お前、今自分がどんな顔
してんのか知ってるか?」
「知ってるわけないだろう」
むうと眉根を寄せると、燕青は静蘭の目の縁に溜まった雫を少し乱暴に拭き取った。
「俺の前では我慢するなよ。あのくそったれ野郎に会ったんだ。思い出したくもねえ
昔を夢に見たっておかしくないぜ。」
ドキリ、と静蘭の鼓動が震える。
瞑祥との過去の因縁は、燕青も知らないはずだ。
・・・知られたくなかった。
これ以上、汚れた自分を曝すのは耐えられない。
「・・我慢などしていない。」
真っ直ぐに見つめてくる黒檀の瞳に、心の奥底まで見透かされているようで。
ふいと目を逸らす。
一拍おいて、燕青の逞しい腕が静蘭の体をそっと包み込んだ。
予期せぬ事態にビクリと痩身が揺れる。
「お前っ、何する・・!」
「見てらんねえんだよ、お前。溜め込まないで吐き出しちまえよ。今ならこの胸
タダで貸してやるよ。」
「ふざけるなっ・・誰がお前などに・・」
腕の拘束から逃れようとしたが、それは簡単なことではなかった。
「俺にしか出来ないことだろ? 姫さんにだって、邵可さんにだって無理だ。
これは俺の役目なんだからさ。・・・な、静蘭」
耳元で囁くように、驚くくらい柔らかな声が落とされる。
こんな燕青は初めてだった。
「瞑祥の野郎、今でもお前のこと自分のもんみたいに勘違いしてやがって・・
大体、自分のもんだったら何しても構わないとか思ってんのか?」
独り言なのか、答えを求めているのか、顔が見えない分よく分からない。
「・・燕青」
「何だ? 何でも受け止めてやるぜ。遠慮なく来い。」
「それよりも、いい加減放せ」
「放さねえよ」
「は?」
「お前のこと、ほっとけねえし。」
「だから、話すことはないと言っただろうが!」
「頑固だなー 相変わらずだぜ。でもそこが、」
いったん体を離したかと思うと、再び腕を掴んで引き寄せる。
鼻先が触れ合うくらいの近さでクマ男が笑んだ。
「可愛い〜 めっちゃ俺好み」
「・・・お前な・・」
氷柱のような視線をものともせず、燕青は電光石火の速さで静蘭の頬に口付けた。
さしもの静蘭も、一瞬何をされたのか理解出来なかったが、目の前でにんまり
笑み崩れている友人を見て、見る見るうちに真っ赤になる。
「燕青ーーーーー!!!」
「怒んなよー 愛情表現じゃん」
「だからと言ってやっていいことと悪いことがあるだろうがー!」
繰り出される拳を全て難なく避けながら、嬉しそうに燕青は笑った。
「元気じゃねーか。よしよし、この調子で”亡霊退治”やろーぜ?」
「え?」
「やるんだろ?」
「・・・もちろんだ」


この男はいつだって、こうして自分を救い上げてくれる。
手段はどうあれ、結果的にいつも救われているのだ。
面と向かってはもちろん、そんなこと絶対言ってやらないが・・・。


「あ、静蘭」
「何だ」
「俺好みっていうの、あれ本当」
「はあ?」
「んじゃ、そういうことで。よろしくな!」
「よろしくって・・何をよろしくなんだ?!」
静蘭の質問には答えずに、燕青は意味深な笑みを浮かべた。
すっと頬に手をやる。
「さっきのも、本心。信じろよ?」
「な・・・」
一瞬、燕青の顔に切なさと苦しさが入り混じったような表情が浮かぶ。

「・・さて、もう一眠りするか」
そう言った顔は、もういつもの陽気なクマ男に戻っていた。



金華はまだまだ先である。
2人の新州牧のためにも、少しでも災いは取り除いておこうと思う2人だった。



<END>




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作者コメント

秀麗たちと離れて2人で金華に向かっているときの
話です。かの瞑祥との再会シーンは、激萌えですなvv
公式でもあれだけ妄想をかき立てられる会話全開
なんですから(萌死) でもって、2人の過去話を
読んだ時、瞑祥のやってたことの美味しさ(いやいや)に
鼻血が止まらなくて死にそうに・・・vv(殴)
もっと静蘭と燕青の距離を縮めたかったのですが
予想以上に難しく・・・・・頑張ります(^^;
(2009.8)

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