●茶州前夜





その夜、中天にかかる月は糸のような三日月だった。
貴陽で見ることも暫くないだろう、と静蘭は思った。

茶州州牧を拝命した、彼のお嬢様・紅秀麗と杜影月の2人を守る専任武官として
ともに茶州行きを命じられたのはほんの数日前。
何だかんだと準備に追われていたが、気が付けば出立は明日に迫っていた。
早朝の出発に少しでも睡眠を取るべく横になったが、目が冴えて眠れそうにない。
静蘭は諦めて庭院に出た。
少し歩くと、桜の木の根元に夜空を見上げているらしき黒い塊があった。
それが誰なのか静蘭はすぐに分かったので、気にせず素通りしようとしたのだが。

「眠れないのか?」
「・・・お前こそこんなところで何をしている」
「んーー目ぇ覚めちまってさ。ちょっと気分転換」
よくわからない。
「静蘭」
「何だ」
「大丈夫だって」
「は?」
「茶州、俺がいるだろ?」
「・・何のことだ」
燕青は静蘭の想いを知っているので、一切茶化さずにそのまま答えた。
「お前、茶州行きが決まってから、日に日に神経質になってるだろ。」
「別にそんなことは・・」
「俺にまで隠すなよ。これでも理解ってるつもりだぜ?」
不意に風が吹いて、燕青の左頬の十字傷が露わになる。
どくん、と静蘭の心臓が震えた。

この傷の頃の思い出が色濃く残る地、茶州。
14年前に出て行ってから、足を踏み入れるのは初めてだった。
「俺が一緒だからさ。何かあっても大丈夫だって。そんな顔すんなよ。」
静蘭は眉根を寄せた。
「お前に心配されるようじゃおしまいだな。」
「そうそう、その意気。らしくなってきたじゃん」
「本当にむかつく男だ」
睨みつけると、燕青はへらへらと笑った。

「一生、茶州へは行くことはないと思っていた」
「まあそうだろうな。でも、姫さんのためだろ。姫さん守るために行くんだろ。
いいんじゃねえの。お前、前向きになったよなー。えらいえらい。」
「うるさい」
「それに俺も一緒だしな!」
「それは関係ないだろう。寧ろ邪魔だ。」
「ひでー なんて冷たいコト言うんだよー」
燕青はぶつぶつ文句を言った。
本当は燕青が一緒にいてくれてこれほど心強いことはないのだが、静蘭の高すぎる
矜持が、それを告げることを許さなかった。

そんな静蘭の気持ちは、もちろん燕青はとっくにお見通しである。
その上で、ちょっとだけ文句を言ってみる。
「それにしても姫さん、羨ましいよなー」
「は?」
「あのお前にこんだけ想われて、あまつさえ茶州行きまで承諾させちまうなんてさ。
俺なんて”邪魔だ”だからな。」
「お嬢様とお前を比べること自体、間違いだろう。」
「えー。俺、こんなに愛を注いでんのになー」
・・・・・全くこの男は。
馬鹿馬鹿しい、とその場から去ろうとした静蘭の腕を、燕青のそれが引き止める。
「だから、俺、本気だって」
「どこが?」
「愛情たっぷりなとこ」
「・・・・・」
「やっぱ本気にしてないな、お前」
「出来るか、阿呆!」
むう、と燕青は一瞬考えた後、掴んだ腕をそのまま自分の方に引き寄せた。
ふいをつかれて、静蘭はそのまま前のめりに倒れ込む。
顔を上げるとすぐ目の前に黒檀の双眸があった。
「お前っ、何す・・!」
猛烈に抗議しようとした静蘭の目に、嬉しそうにニタニタ笑う髭面が映る。
余りのアホ面に毒気を抜かれた静蘭はガックリと肩を落とした。
「だから、お前、何の真似だ。とっとと放せ」
「やだよ」
「燕青!」
にっと笑うと、ついと耳元の薄紫の髪をかき分けて小声で囁いた。
「愛してるぜ、静蘭」
途端、静蘭の顔は酢を飲んだようになり、そして徐に薄紅色に染まっていく。
「な、なな」
何かを言われる前に、燕青は静蘭をぎゅっと抱きしめた。
「怒るなよ。本気だって言ってるだろ。お前のことずーーーっと捜してたんだ。
今度会ったら絶対離さないって。お前が誰のこと想ってても構わねぇけど
俺はお前のこと愛してるからな!」
グーで殴ろうと思っていた静蘭だったが、抱きしめられた腕の温かさに
何だか気持ちが解れていく。
トンでもない男だが、憎めないヤツである。
「・・・あと10秒だけ我慢してやる。」
「お、ホント? じゃあ、せっかくだから」
燕青はくるりと薄紫色のひと房を指に絡め取ると口付けた。
赤くなった静蘭のこめかみにピキピキと青筋が浮かぶ。
「こんのコメツキバッタ! 調子に乗るな!」
間一髪で手刀を避けた燕青は、満足げに笑った。
「ありがとな、静蘭。これで幸せ満タン。明日からの茶州行き、頑張れるぜー!」


幸せ一杯の燕青はその後、ぐっすり眠れたが、静蘭は友人のむちゃくちゃな行為に
いろんな意味で心をかき乱され、やっぱり悶々と眠れなかったのであった。



<END>




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作者コメント

茶州行き前夜のお話です。
燕青はちょっぴり秀麗に嫉妬しちゃってます。
彼はストレートに気持ちを伝えそうなイメージが
あるんですが、実際はどうなんでしょうね。
静蘭も燕青のことを認めてるんですが、やっぱり
素直じゃないんで(笑)

(2009.6)

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