●再会





「・・・誰です、あなた?」
注意深く、探るような青碧の瞳を向けられた燕青は、ふと既視感を覚えた。
そして、それを確かめるために、目の前の薄紫色の髪を持つ若者をまじまじと
見詰め直した。
「・・・・・お前、もしかして”小旋風”?」
途端、静蘭の顔色が変わる。
即行で怪し過ぎる髭面男の胸倉を掴むと、家の外に引きずり出した。
”小旋風”などという思い出したくもないかつての渾名を知っているということは・・
静蘭は髭面男の長い前髪を掻きあげて、左頬を露わにする。
そこに現れたのは十字の傷。
忘れもしない、あの地獄のような場所で出会った男、”浪燕青”
「お前、もしかしなくても燕青か?!」
「おお! やっぱお前かぁ。マジ、久しぶりだな。」
にっかと笑うその顔に血の気が急速に引いていくのが分かる。
どうしてこの男がここにいるんだ?
「なぜここに・・?!」
「いやー、貴陽に用事があってさ。でも何日もまともなもん食えなかったから
もう腹ペコで。で、門番のいない屋敷見つけて行き倒れてたら、優しい姫さんが
拾ってくれて美味い食事を食わせてくれたってわけ。いや〜、いい子だなー」
「今すぐ回れ右して出てけ!」
「ひでー!」
2人のすったもんだしている声を聞きつけて、秀麗が家の中から心配そうに顔を出す。
「どうしたの、静蘭?」
「何でもありませんよ、お嬢様」
「もしかしてお知り合いなの?」
「ちが・・」
静蘭が否定するより早く、燕青の「そうなんだよー」という肯定の返事が飛んだ。
それを聞いた秀麗は嬉しそうに笑う。
「じゃあ、お夕食は大人数ね。食材は用意して頂いているし。あなた、運が良いわよ。
今日は4日に一度のご馳走の日なの。楽しみにしててね。腕、振るうから。」
秀麗は食材をいっぱい抱えてきた王の側近、藍楸瑛と李絳攸に深々と礼を述べると
さっそく台所へ飛んでいった。
お嬢様の手前、叩き出すことも出来ずに、静蘭は旧知の男を睨みつけた。
もちろん燕青はそんなことなど全く気にしていない。
旧友の視線を感じて、にっと笑った。
「お前が元気そうでホント良かったよ。」
静蘭は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、それ以上何も言わなかった。


その夜、食事会の後片付けを済ませた燕青は、静蘭の案内で、しばらく逗留させて
もらうための部屋に向かっていた。
「それにしても、お前、ホントいいとこに拾ってもらえたんだな。良かったなー」
「・・・燕青、昔のことをチラとでも言ってみろ。命の保障はしないからな。」
氷柱のような視線が燕青の陽気な顔に突き刺さる。
「わかってるって」
「お前の部屋は隣だ。いびきやら寝言やら歯軋りやらは論外だ。静かに寝ろ。」
相変わらず上から目線の物言いに燕青は苦笑いした。・・・懐かしい。
「俺、お前がいなくなった後、めちゃめちゃ落ち込んで後悔した。何であの時
お前を一人にしたんだろうって。」
「・・・・・」
「だから、また会えたら、今度こそ何があっても絶対一緒にいるって決めてたんだ。
二度と離さないってな。」
「・・・あの時は黙って出て行って、悪かった。」
背中を向けたままぼそりと呟いた静蘭に、嬉しそうに笑いかける。
「いいんだ。お前がこうして元気でいるなら。でも」
燕青は何の躊躇いもなく旧友に近づくと、肩を掴んで自分の方に向けさせた。
「俺の傍からいなくなるなよ? ・・・・・セイ」
どきり、と静蘭の鼓動が波打つ。
忘れかけていた遠い夏の日。
太陽のような笑顔と、”セイ”と自分を呼ぶ声。
「一緒に行こう」と差し伸べてくれた暖かい手。
「誰が否定しても俺だけは傍にいてやる」、と見つめてくれた黒檀の双眸。
あの時の静蘭は、そうして向けられる全てが眩しすぎて、痛くて、そこから
逃げ出すしか出来なかった。
どんなに焦がれていても、その想いを甘受することを許せなかった。

「ここは私の家だ。いなくなるのはお前の方だろう。むしろさっさと消えろ!」
「うお。何て冷たい言葉。相変わらずきっついなー、お前」
「うるさい」
「でも、元気な証拠じゃん? ちゃんと”人間”らしいしな。」
ボロクソに言われても、返って嬉しそうにニタニタと燕青は笑った。
静蘭はこれ以上何か言う気も失せて、溜息を付く。
「とにかく、旦那様とお嬢様には絶対迷惑はかけるな。泊めてもらう以上は
それだけの仕事はちゃんとやれ。いいな。」
「もちろん。力仕事なら何でも全般OKだぜ。」
「それから、その髭。むさ苦しいから剃れ。」
「えー 男前だと思うけどなー 何ならお前も生やしてみる?」
「誰が生やすか、馬鹿者!」
静蘭に一喝されてもなお、燕青はぶつぶつと呟きながら、名残惜しげに髭をつまんだ。
「まあ、でも、お前、昔も綺麗な顔してたけどさ、変わんねえよなー。」
「なっ・・・」
予想外の言葉に不覚にも静蘭は動揺してしまった。
何だか顔が熱を持ってきた気がする。
「おお? 参ったなー。ずっと会いたいって思ってたけど、まさかこう来るとはなー」
くるりと背中を向けると、燕青はらしくもなく歯切れの悪い台詞をぼそぼそ吐いた。
訝しげに静蘭がその横顔を覗き込む。何か悪いものでも拾い食いしたのか?
「お前、何だか変だぞ。人並みに悩みでもあるのか?」
「なにぃ、俺は人じゃないってか! んんーーー 原因はお前なんだぞー」
「何だと? 私のせいだと言うのか」
燕青はぼさぼさの髪をガシガシかきながら、溜息を付いた。
「お前のせいっつーか・・・」
一拍沈黙が落ちた後、トンと部屋の扉に手を突いて、静蘭の行く手を遮る。
「何だ? 何か言いたいことでもあるのか」
黒檀の瞳がついと静蘭を見つめると、形の良い顎に空いている方の手で触れた。
ゆっくりと黒と青碧が交錯する。 − まるであの日のように
『他の誰が否定しようが、俺だけはお前の傍にいてやる』

結局は傍にいてやれなかったけれど、でも今なら。
「セイ、これからはずっと傍にいてやるからな!」
途端、静蘭の眉根がきゅっと寄る。
「その名で呼ぶな」
「そうだったな、悪ぃ。でも、あの時のお前に本当は言いたかったことなんだ。
だから、敢えてそう呼ばせてもらうぜ。それに俺が付けた名前だしな!」
静蘭は溜息を付いた。
「今だけにしろ。それから・・・お前の助けは必要ない。むしろ邪魔だ。」
どキッパリと切られた燕青はがっくりと肩を落とした。
相変わらず塵ほどの容赦もない。
まあ、彼らしいと言えば彼らしいが。
「いいさ。どちらにしても俺の中ではもう譲れないことだからな。何があっても。
ま、白状すると、俺がお前の傍にいたいってだけなんだけどなー」
「お前な・・・」
困惑した静蘭を見て、にっかと燕青は笑った。
「あ、お前、冗談だって思ってるだろ」
人差し指をひらひらさせながら、薄紫の前髪を絡める。
静蘭は無言でその手を払いのけると、くるりと踵を返した。
「明日もビシバシ働いてもらうからな。今日はもう寝ろ。」
部屋へ入ろうと一歩踏み出した静蘭は、ふいに逞しい腕で背中から抱きしめられた。
「おいっ・・お前、何す・・」
「会いたかった。ずっと、ずーーーーっと捜してた。だから、もう二度と絶対
何があっても手離す気、ないから。」
髭面の顔を薄紫色の束に埋もれさせる。
見えない表情と軽く負荷の掛かった肩に、静蘭は小さく溜息を付いた。
「重いぞ、コメツキバッタ」
「えー、俺、燕青って超カッコイイー名前があるんだけど」
思わぬ呼ばれ方をした髭面男は、抱きしめた腕はそのままで、肩越しに抗議する。
「コメツキバッタで十分だ。重いって言ってるだろうが!」
「ふふん。照れるなよー、セイ」
「誰が照れるか!」
腕の緩みの隙を狙って、静蘭はくるりと燕青の方に向き直った。
「私には『静蘭』という名がある。」
燕青は目を丸くした後、嬉しそうに破顔した。
「やっとお前の方から、名前教えてくれたな。”静蘭”?」
黒檀の双眸がついと距離を縮めてきて、焦った静蘭は思わず仰け反る。
昔も思ったが、この距離は慣れていない。心の内を見透かされそうで苦手だった。
「大丈夫だって。無理強いはしないから。これからゆっくり解り合えるだろ?」
「そ、そんなヒマあるか! 一体いつまで居候する気だ、お前」
「心配するなって。用事が終わったらいなくなるからさ。こう見えてもそれほど
ヒマじゃないんでね。」
「・・・そうか」
燕青の言葉に、僅かに静蘭の表情が硬くなる。そんな変化を燕青は見逃さなかった。
「寂しいって思ってくれんだ?」
「誰がだ!」
「隠さなくてもいいって! 俺、愛されてんだな。超感激ーー!」
両手を広げて抱きつこうとするクマ男のみぞおち辺りに、肘鉄が容赦なく入る。
「やはり今すぐにでも消えろ!」
「えーー 悪かったよぉ〜 だからもうちょっといさせて?」
「・・・」
「だって、お前と離れたくねぇんだもん。せっかく会えたのにさ。」
再び踵を返した静蘭は、自室のドアを開けながら背を向けたまま旧友に告げた。
「・・・用事が終わるまでだぞ。」
「おっけー! ありがとな、静蘭」
明るい声を背に、部屋に入った静蘭は大きく溜息を付く。


13年前、黙っていなくなってしまったことを、ずっと申し訳なく思っていた。
こんな自分に、「一緒に行こう」と手を差し伸べてくれた太陽のような男。
もう二度と会うことはないと。
自分には会う資格はないと、そう思っていた。

それなのに
こんなに突然、また会うことになるなんて

『ずっと傍にいてやるからな』
『何があっても絶対手離す気ねぇから』

一体、何を馬鹿なことを言っているんだ・・・


矜持の高さが邪魔をして、静蘭は燕青の言葉に素直になれなかった。
本当は、”素直になりたい”と思っているはずなのに。



寝付けない静蘭は、寝台から起きて窓辺に歩み寄った。
窓を開けると、満月が蒼い光を放っている。
昼間の熱気をはらんだ空気はいくぶん冷めて、静蘭はほっと息を付いた。
と、隣室の窓が徐に開けられ、ぼさぼさ頭がひょいとのぞく。
「お、静蘭も月見?」
「まだ起きてたのか」
「んーー、今日はいろいろあったからな。気が高ぶってるのかも。お前も?」
「さあな・・」
「俺との感動の再会で興奮してるとか?」
へらへらと笑う髭男をじろりと睨む。
「それだけはありえん」
「そう? 俺はめちゃめちゃ感激。嬉しくて寝付けない。」
燕青は太陽のような笑顔を向けた。
どうしてこの男はこういうことをさらりと言うんだ。

「お前のふざけた顔を見ていたら眠くなってきた。」
「ひでー、何だ、それ」
窓を閉じようとすると、燕青の声が追いかけてきた。
「静蘭」
「何だ」
「俺は本気だぜ。お前のこと大切に思ってるから、お前の傍にいるって決めた。」
青碧の双眸がゆっくりと瞠目する。
「どうしてお前はそういうことをさらっと言うんだ。」
「言わないで後悔したくないからな。言える時に言っておく。大切だってな」
「・・・」
「お前がどう思おうが構わない。けど、俺はもうお前を一人にはしないからな。」
「燕青・・・」
「んじゃな、おやすみ」


どうしてこの男はこうして何度も

何度も何度も何度も

自分を一緒に引き上げてくれるのだろう

黙って離れてしまった自分に

今またこうして手を差し伸べてくれる

呆れるほど優しくて暖かい


静蘭は胸奥がじんと熱くなるのを感じた。
燕青は昔と変わらず、底なしの情の深さだ。

本人の前では死んでも言いたくないが、今、自分がここにこうしていられるのは
間違いなくこの太陽のような男のおかげだ。
燕青と出会わなければ、自分はどうなっていたかわからない。



明日からの賑やかな日々を想像して、静蘭は僅かに笑んだ。



<END>




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作者コメント

静蘭と燕青のコンビが大好きですv
「空の青、風の呼ぶ声」を読んで2人の壮絶な
過去に衝撃を受けました。同時に固い絆に
めちゃめちゃ萌えました(^^

(2009.6)

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